車輪の下の独り言

日々の生活で感じたことや本の感想のつぶやき

私は木になりたい

『私は木になりたい。』

 

 

高校生のとき 

授業中、教室の窓から見えるグラウンドの端で

ひっそりと生きている桜の木を見つめながら、いつも考えていた。

 

木は人間をはじめとする多くの生物たちが生きるために必要な酸素や、

家の材料となる木材などを与えている。

 

何かを与え、多くの人々の役に立ちたい。

そのような意味を込めて、『木になりたい』と考えていた。

 

 

絵本との出会い

『おおきな木』という絵本に出会った。

 

いっぽんの木とひとりの少年のお話だ。

 木は少年の遊び場となり、時にはりんごを与えて少年のお腹を満たしてあげ、

少年は木陰でねむった。

少年から愛されていた木は、とても幸せだった。

 

時が流れ、少年は木のところに来ることが少なくなった。

 

ある時、少年は木のところにやってきて、

遊び場やりんご、安らぎではなく、おかねが欲しいと木に頼んだ。

木はりんごを売って、お金にし、幸せになるよう言った。

りんごをたくさん持っていった少年を見て、木はしあわせになった。

 

 

その後、木は少年に家を作るための枝や、船を作るための幹を与えた。

少年は木の前に姿を見せなくなり、

切り株だけになった木は、しあわせではなかった。

 

 

ずいぶん長い時間がながれ、少年は木のところへ戻ってきた。

切り株だけになった木は、「何も与えられるものはない」と言った。

 

「特に何も必要ではない。落ち着ける場所があればそれでよいのだ。」

と、少年は言い、切り株の上に腰をおろした。

木はしあわせになった。

 

 

いま感じていること

この絵本を読んで、木は親のことであり、少年は子どもだと私は考えた。

親は子どもに無償の愛情を注ぐが、子は愛情に気付かない。

自分もそうであった。

 

絵本の少年は木からの愛情という、最も大切なことに気が付いた。

絵本を読んで、私も気が付いた。

 

 

「今までありがとう。」親に伝えなければ。

そして、誰かの木になりたい。と強く感じた。

 

 

 

おおきな木

おおきな木